第十一章 微笑

 「裕生、お袋はどした?」

 直樹が夕食である冷やし中華の麺を口に運びながら言った。

 「まだ仕事なんじゃない?残業多いし・・・」

 「そうか・・・」

 少しだが、直樹の顔に影がさした。

しかし、すぐに笑顔に戻り、口を開く。

 「まあそれはいいとしてよ、裕生」

 「何?」

 「この、えっと・・・」

 「川島」

 「川島とはいつから知り合った仲なんだ?」

 「げっ?」

 「何がげっ?」

 「い、いや、何でもない・・・別にいいだろ?そんなこと・・・」

 「お前は俺の弟だからな、恋人できたんだったらそれくらいは知りたいわけよ?この理屈わかるか?」

 「わからないわけじゃないけど・・・」

 裕生は目線だけ、川島もといシオンに向けると目があった。

シオンは少しだけ頷くと、直樹に向かって言う。

 「ただ学校で気があったので、それから親しい友人としての仲です」

 「ん?友人?」

 直樹は裕生の顔をジロジロと見回す。

裕生は慌てて誤魔化すように食を進めた。

 「まあいいや、それより、川島は今日、ここに泊まる気か?」

 「はい」

 「ふーん、じゃあすまねえが裕生の部屋で寝てくれ。俺の部屋は今日俺が使うから、ワリィな」

 裕生は食べているものを吹き出しそうになった。

むせたのか、咳き込む。

 「どうしたんだ、裕生?新手のギャグか」

 「な、何でボクの部屋なの!?」

 「ん?だって俺の部屋は俺が使うし、お袋の部屋はお袋が帰ったら使うだろ?ほかには部屋ねーじゃん」

 「そ、そうだけど!」

 「別にいいじゃねーか、友人から一気に距離縮まるぞ?喜べ」

 直樹はささっと、自分の皿を台所に運ぶ。

 「うー・・・」

 裕生が唸っていると、直樹に聞こえないように小声でシオンが話しかけてきた。

 「これでいいんです。魔人はこの街に来ていることは確か。こっちも護衛はしやすいです」

 「まあそうだけど・・・」

 「大丈夫ですよ。別に私は流河さんのベッドまでは占領しませんから」

 「は?」

 「え?流河さんが寝る場所を取られるかもしれないと思って嫌だったのでは?」

 「は?」

 「あれ?違いましたか」

 シオンが疑問があるように首を傾げる。

 「いや、別に・・・」

 裕生とシオンが考えていることは矛盾しているようだ。

 「とりあえず、私は寝ずの番をしますので、いつ魔人が襲ってきても大丈夫ですよ」





 「煉獄の剛金<Oリバリー・・・」

 暗闇の中に男が二人、立っていた。

 「おや?これはこれは征伐の先駆<uレイズさんではありませんか」

 グリバリーは何がおかしいのか妙な笑い声を上げる。

向かいの男は尖った長い耳をしており、背中にはコウモリのような羽をつけていた。

 「何を遊んでいるんだ、人間を殺すのがおまえの任務ではないだろう?」

 「ほっほっほ・・・久しぶりに見た人間です。殺したくなるのが魔族の習性ではないのですか?」

 グリバリーは楽しげな顔になる。

 「習性とかは関係ない。おまえ、まさか聖者をナメているわけではなかろうな?」

 「おやおや、ブレイズさんは聖者をどのようにお考えで?聖者なんて私達の敵ではないでしょう?」

 「そうかもしれないが、今までその聖者に我々はやられ続けてきた。それを忘れてはならんぞ」

 「大丈夫です。ただレジストを奪えばよいこと・・・」

 「しかし、紅牙<tィオがいることを忘れるな」

 「フィオさんですか?ほっほっほ・・・あの人なら私の魔力を使うまでもありません・・・」

 ブレイズは言葉に詰まり、小さく唸る。

 「しかし、レジストを蔵している奴を侮ってはならんぞ」

 「大丈夫ですよブレイズさん・・・所詮レジストは聖者が創造者・・・私の敵ではありませんよ?」

 「・・・まあいい、お前の好きなようにしろ。しかし、任務は守れ。絶対にな」

 「それはご心配に及びません。それはちゃんとしますよ。ちゃんとね・・・」

 「それならいい。私はここで失敬する」

 ブレイズは言うと、その周りに光柱が現れたと思うと、ブレイズは消えていた。

 「ではさっさと任務に移るとしますか・・・」

 グリバリーは不敵な笑みを浮かべて言った。





 「あのさ、シオン」

 裕生はベッドの上にあぐらをかいて言う。

シオンは窓の傍に座って黙々と、二本の大剣紅蓮≠ニ紫電≠磨いている。

磨くのをやめ、シオンは裕生の方を見る。

 「何ですか?」

 「レジストってのは、具体的になんなの?」

 「レジストですか?」

 「ほら、あのギニーって奴と戦っていたときに確か、“覚醒”したって・・・」

 「それはレジストの本来の力を発揮するって意味」

 ブレスレットの中に身をゆだねる聖者紅牙<tィオが言った。

 「それが何なのかってことなんだけど」

 「レジストってのは昔のお偉いさんが造った神器でね、魔力の根源“負の感情”を吸うのともう一つ効果があるの」

 「もう一つ?」

 「それがレジストの“覚醒”、レジストは蔵している人間の大きな怒りによって本来の力を発揮する。それは今まで吸ってきた“負の感情”を変換して出来る“力”として覚えていて」

 「その力をボクは使えるの?」

 「そゆこと。ま、その力を十分に使いこなせるのは難しいけど・・・」

 「力を制御できていない人間は怒りによって力を暴走させてしまいますので。それをさせないようにするのも私達の任務なんです」

 「へ?」

 「相当の怒りを覚えるか、相当な恐怖に襲われると、無自覚で発生してしまいます」

 「無自覚?」

 「その鍛錬を行っていなければの話です」

 (よくわからないけど、凄いものだということだけわかったな・・・)

 裕生は急に何かを思いついた顔をした。

 「シオン、寝ずの番するって言ってたよね」

 「しますよ。寝ている間に魔人が襲ってきたら危ないですし」

 「でもそれを繰り返していたら体悪くするんじゃない?」

 「そんなことを言っていれば聖者はつとまりませんよ」

 「いや、でも寝ないと死んじゃうじゃない?」

 「その時はその時です」

 「その時はその時って・・・」

 裕生は大きくため息をつく。

その後、ベッドから降りて立つと、自分の部屋のドアを開けて外に出た。

 「流河さん、どこに行くのですか?」

 シオンがまた大剣を磨くのをやめ、目を見開いて言った。

 「シオンが寝ないでボクが寝るなんて不公平だからさ、ボクも起きておこうって思うから、コーヒー作ってくる」

 「・・・え?」

 「あれ?コーヒーいらない?」

 特に断る理由はない。

 「いえ、そういうわけじゃ・・・」

 「じゃあ入れてくる」

 シオンはしばらく全体が硬直し、言葉を失っていた。

それに対してフィオが小さくため息をついた。

 「シオン・・・」

 「はっ!?」

 シオンは我に返る。

 「あ、ちょっと待って下さい!」

 自分の任務は裕生の護衛。

少し何処かへ行くのも危険。

それを護るには何処へでも行くこと。

シオンは急いで裕生の後を追った。





 扉がたたかれる前に真紅爪炎<潟Mラは誰がここに来るかわかっていた。

白銀の鎧のようなものに身を包み、頭はエメラルドグリーンの長髪で、顔は彫りが深く二枚目だった。

 手には二本の薙刀を持っており、たとえどんな時でも警戒は怠ってはいない。

 ましてや、人の立てる足音などすぐにわかる。

 「何のようだ、ギニー・・・」

 相手が驚いたのをわかり、リギラは少しだけ顔に笑みを浮かべた。

ため息が聞こえ、広い部屋の扉が静かに開かれた。

その時に、廊下から冷たい風が入ってき、松明の炎を揺らした。

 「よくわかったネ、リギラ」

 入ってきた男は相手の許可無しに椅子に腰掛けた。

この男の無礼講な態度はリギラは慣れていた。

 「いや、ちょっと頼みたいことがあってネ」

 冷笑を浮かべた美しい顔立ちの魔人の青年は言った。

この男は凍牙の刃*plギニー=ファントム。

貴公子の格好をしているこの魔人は強力な氷の魔力を使い、剣の腕も相当なもので、魔人の中でも上にたっている。

 どんなことでも本気になりやすく、子供のような一面を見せるときもある。

しかし、性格は冷酷かつ残虐で気に入らない奴はすぐに殺すという考えをしている。それがたとえ仲間であったとしても。

 更に神器・“フロスト”という氷の因子の魔力をかなり使いこなせないと持つことを許されないという剣も持っている才能もあった。

 「・・・なんだ」

 「もう一度、奴等の所に行かせてくれないカナ?」

 ギニーは不気味な忍び笑いをする。

 「今はグリバリーだけで十分だ。無駄に送り込めばそれだけ聖者に察知される。風刃の双牙≠フことも忘れるな」

 「ははは・・・リギラならわかっていると思っていたのだけどネ?」

 ギニーはリギラに渡された優美なグラスの中にある血のような色をした葡萄酒を飲む。

 「?・・・それはどういうことだ」

 「今のグリバリーには到底倒せないよ」

 グラスを置き、立ち上がるとゼニスブルーの前髪を指ではらった。

 「流河裕生のレジストは予想以上に手強い。サスガ、英雄のレジストってわけ」

 「・・・?」

 リギラは何を言っているのかわからず、キョトンとした顔になる。

 「あいつは、爪破裂界≠サのもののレジストだヨ?」

 リギラはそれを聞いた途端、目を大きく見開き、素速く立ち上がる。

 「何だと!?さっき何て言った」

 「やっぱり知らなかったんだ・・・ボクは実際戦ってわかったんだけどネ・・・」

 「あいつが・・・爪破裂界≠フ・・・」

 「ま、グリバリーじゃ無理だけどネ」

 「既に覚醒したとなれば、力は相当なものだ・・・それに聖者もいる・・・逆に多く送り込んでも聖者が異変に気付く・・・」

 「難しい問題でしょう?今、魔界が完全に開かれるのを待つには遅すぎる・・・ボクを送り込んだほうが懸命だと思うケド?」

 「確かに・・・その話が本当ならグリバリーの力では少し無理があるな・・・」

 リギラは唸りながら考える。

 「・・・仕方ない・・・今、奴と戦って生きているのはお前だけだ、ギニー」

 リギラがギニーに向かって真剣な顔で言うとギニーは喜んでいるのか面白いのかよくわからないが笑った。

 「やっぱり話の通じる人だ、リギラ・・・」

 「しかし、とりあえずはグリバリー一人で行かせろ。一気に二人も送り込めば多数の聖者に察知されやすい」

 「それは承知のうえだよリギラ?」

 ギニーは腰に細身の剣“フロスト”を引き抜くと、その刀身の鈍い輝きを眺めた後で、リギラに酷薄な微笑みを向けた。

 「グリバリーったら可愛そうだよね?そんなことも知らずに派遣任務なんてさ」

 喉の奥でギニーは笑い声を立てた。

 そうしてマントを翻しつつ部屋から出ようとするギニーにリギラは声をかけた。

 「ギニー」

 戸口の桟に手をかけ、ギニーは立ち止まった。

 「なんだい?」

 「くれぐれも言っておくが、グリバリーが失敗して帰ってきても殺すなよ。ジルバのことは口出しせんが、絶対にな」

 「・・・それはどうかな?魔界っていうのは役立たずは斬り捨てるって掟が勝手にできている・・・それに従ったまでさ。ジルバのことはネ」

 「それはそうだが・・・」

 「その時はその時・・・ま、ボクをあまり買い被らないほうがいいヨ?それじゃ」

 笑いながらギニーは去っていった。

 (仕方のないことだ・・・)

 リギラは何となく窓の外を見る。やはり気味の悪い景色だった。





 流河裕生は自分の部屋でシオンと一緒に無言でコーヒーを飲んでいた。

直樹は既に寝ているようで、いびきまでもが聞こえてきた。

シオンはいつでも戦える準備をしているらしく、二本の大剣を離そうとしない。

コーヒーを飲んでいる時も、あどけない顔立ちが忘れられるほど厳しい表情でかたまっていた。

やはり目までも引き締めており、窓の外をずっと見ていた。

 それをずっと見ていた裕生は小さくため息をつく。

 「あのさ、シオン・・・」

 「え、はい・・・何でしょう?」

 シオンがハッとなり、いつもの可愛らしい、童顔に戻った。

 「そんなに厳しい顔にしなくても、普通にしていれば?」

 「いえ、魔人には警戒は怠りません。今まで殺されてきた聖者を何度も見てきましたから」

 「ああ、そう・・・?でも暇だなあ・・・」

 「別に就寝してもよろしいのですよ?ちゃんと護りますので・・・心配はないです」

 「いや、そういうわけにはいかないよ」

 「そうですか?」

 また長い沈黙が続いた。

 (それだけ本気になってくれればボクも安心なんだけどな・・・)

 「今日暑いね」

 裕生はTシャツの胸元をバサバサ広げる。

 「そうですね」

 シオンはしばらくたってから重たげに口を開いた。

 「クーラーつける?」

 シオンは静かにこくんと頷いた。

裕生は立ち上がって机の上にあるクーラーのリモコンを使ってクーラーを起動させる。

その後すぐにベッドの上に座った。

 沈黙。

 (そんなに警戒しなくてもいいと思うけどな・・・)

 裕生はよっ、とかけ声をかけベッドから立ち上がると、シオンの隣に座った。

シオンは裕生を見向きもせずにずっと外を見ている。

それを見て微笑むと、一緒に外を見る。

 やはり暗く、マンションの駐車場が見える。

ここから見える車は五台だけだ。

 (・・・え?)

 と裕生が思うと、シオンも少し声を立て、眉をひそめた。

車の影から黒いダークスーツの男がいつのまにかそこに立っていたのだった。

暗くてよくは見えなかったが目は細く、砂色の髪の毛を後ろで束ねている気味の悪い男だった。

元々そのような顔つきなのか常に笑っているようにも見える。

 「あれは・・・誰?」

 裕生が目線はその男にあわせてシオンに言う。

 「わかりませんが、聖者ではないことは確かです。“魔”の力を感じます。あの時に感じた“気”です」

 「あれは気のせいじゃなかったのか」

 「そのようです。魔力を使ったのであれば誰かを殺めてしまったのですかね・・・」

 シオンが大剣を持ったまますくっと立ち上がった。

そして部屋の窓を開けると、歩いてベランダに立った。

 シオンとその男との沈黙が数秒間続いた。

その後に動きがあったのはその男だった。

 男はシオンに向かって手で呼んだ。

おそらくこっちに来い、と言いたいのだろう。

 「ちょっと行ってきます」

 シオンはベランダから出ると、窓を閉めて部屋から出ようとする。

もちろん“紅蓮”と“紫電”は忘れずに持って行った。

 裕生はゆっくりと立ち上がると、パタパタと音を立てて歩いているシオンを制した。

 「ちょっと待って、ボクも行くよ」

 「危険です。ここでいてください」

 「大丈夫だよ」

 「死にたいの?」

 ブレスレットに身をゆだねるフィオが言った。

 「そういうわけじゃない。ボクはレジストに覚醒しているんだろ?いざって時にね」

 「・・・・・・ま、勝手にすれば・・・死んでも恨まないでね。私は一応止めたんだから」

 期待しているのか、よくわからないが微笑みのまじった声でフィオは言った。

 裕生は部屋の電気を消すと、シオンの後を追った。