第十三章 変動

 流河裕生は靴に履き替えてマンションの階段を降りていく。

 (何がどうなって・・・?)

 裕生が気になっているのは三日前の夜の出来事。

 (爪破裂界=E・・?)

 凍牙の刃<Mニー=ファントムが告げた一言。

裕生のレジストは爪破裂界=E・・。

 (どういう意味・・・?)

 どうやら大変なことらしいのはわかった。

シオンといきなり現れた少年、風刃の双牙<сCバという聖者の顔の表情が一変したことからうかがえる。

 (別に教えてくれてもいいと思うけど・・・)

 裕生は何が何だかわからないので、シオンに尋ねると答えは

 『聖者のなかのトップシークレットなので』

 と言われ全く答えてくれなかった。

裕生はしつこく尋ねる気はなかった。

 (まあいいか・・・時がくれば・・・)

 裕生はマンションの階段を完全に降りきり、駐車場に立つ。

 (ここで・・・)

 三日前の夜、シオンと煉獄の剛金<Oリバリーが一戦を交えた場所。

グリバリーはギニーによって殺されたが。

 (とりあえず、夕飯の買い出しに行かないと・・・)

 裕生は妙な気分のまま歩く。

 シオンは三日前の夜、あの少年ヤイバと一緒に調査だと言って出かけていった。

裕生が朝起きてもシオンの姿はない。

とりあえず、家事は大体は裕生がするので朝食は兄・直樹の分だけ作った。

母・由紀は残業がかなり続いたので会社で泊まると電話の留守電に入っていた。

 直樹は相変わらず元気な様子で朝食を食べているときもペラペラと喋っていた。

シオン、もとい川島志織はどこに言ったか聞かれたが適当に促した。

 そのまま三日たつが、シオンに会うことはないし、魔族も襲ってくることはない。

それまでは家である程度勉強をしてあとは自分なりに日常を過ごしてきた。

 (何だかなあ・・・夏休みって実感湧かないなあ)





 灰原唯と緒方智也は一緒に鞄持参で歩いている。

二人は付き合っているわけではない。

二人とも親しい友人関係としか見ていない。

 今、向かっているところは流河裕生のところ。

夏休みの課題を一緒にするという約束をしていた。

 二人は無言で早々と歩いていく。

端から見れば気まずい沈黙が続いているようにしか見えないが、二人にとってはこれが普通だった。

もともとこの二人はおしゃべりな性格ではない。

裕生という「天性」の聞き役がそばにいないと二人はかなりの寡黙になる。

 そんな中、緒方が口を開いた。

 「あれ?」

 「何?」

 「あの人・・・」

 緒方が失礼に指を指すと、一人の肌の白い少女が歩いている。

 「綾香だよ、あれ」

 唯が訂正する。

あの少女は月島綾香。

 唯のほうもさほど仲がいいわけではないが普通には話の出来る生徒。

どこか人見知りの性格もあり、学年ではあまり相手にされていない。

 「綾香ー!」

 唯が綾香を呼びながら手を振ると、綾香はハッとなり、後ろを振り向いた。

そして、おじぎをする。

 「別にさあ、同級生なんだからあんなことしなくてもなあ・・・」

 緒方が愚痴をこぼすように言った。

唯も同じ気持ちである。

同級生なのに敬語である。そういえば川島志織も敬語だった。

 「どうしたの、こんなところで?」

 「いえ・・・ちょっと・・・」

 「私達は流河ん家で夏休みの課題するんだけど・・・綾香も来ない?」

 「・・・・・・え?」

 一瞬、綾香の顔色が変わったのを見て唯は眉をひそめた。

 「流河さんの家でですか?」

 「そうだけど?」

 綾香は何か迷っているようにも見える。

もじもじと手を動かしていた。

 「別に、無理にとは言っていないんだけど?強制じゃないし・・・・・え?」

 彼女は唯を見上げている。

その目はいつも知っている綾香ではないような気がした。

 「どうかしたの・・・?綾香・・・・・・」

 「・・・・いえ」

 綾香は何かを耐えているようにうつむいた。

 「私は大丈夫です。心配しないで下さい」

 「綾香?」

 唯はうつむいた綾香の目を覗き込む。

不意に、彼女の背中が冷たくなった。

うまく説明は出来ないが、とにかく変な気分になる。

 「私は・・・一人でも・・・」

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 綾香と、唯と、緒方の奇妙な沈黙が続く。

緒方が明るい声をかけようと、口を開いたときに唯が言う。

 「まあ、何か悩みでもあるんなら相談にのるから・・・じゃあね、綾香」

 唯は満面の笑みで綾香の肩をポンッと叩くと、走るように去っていった。

 「おい・・・!」

 緒方が途中で我に返り、綾香に軽く挨拶を交えた後綾香の後を追った。

 (何だったんだろう・・・あれ?)

 唯の背中に綾香の視線を感じた。

あまり、綾香と長く話したくなかった。

よくわからないが、綾香に対してこのような気分になったのは初めてだった。

 いや、綾香とではなく別の誰かと話をしているように感じた。





 流河裕生はマンションから少し離れたところにある電柱に立っている。

 (・・・感じる・・・)

 裕生はシオンは出かける前に頼まれたことがあった。

 『今日出かける用事があるのならついでにある調査をして頂きませんか?』

 『調査?』

 『聖者のみの秘密のことなのですが、“魔の道”を探してほしいのですけど』

 『魔の道?』

 『魔族が幻魔法を使ったり、悪魔を呪縛陣無しにこの世界に送り込んだときにできる“跡”のことです』

 『その魔の跡を辿っていけば何かがあるってこと?』

 『そういうことになります。とりあえずはわかったことを報告のみしてください。詳しいことは教えられませんが』

 そこまで言ってシオンはヤイバと共にどこかに行ってしまった。

かなりひっかかる言動だったが、言われるままに行動を起こしている。

 今はこの電柱から魔の波動を何となく感じる。

今まではそんなことは思わなかったが、レジストが覚醒したことによって何となく“それ”を感じるようになった。

 (いいことなんだか、悪いこと何だか・・・)

 一人でため息をついた。

 (まだ、この波動は長く続いているな・・・)

 そんなことまでわかるようだ。

これからその波動を辿ろうとしたときだった。

 「流河ー!」

 「裕生ー!」

 「・・・ん?」

 どこからか聞き覚えのある声がした。

はっと振り向くとマンションの駐車場の近くに灰原唯と緒方智也が立っていた。

裕生は二人の所に走っていった。

 「二人揃ってなに?」

 裕生は二人の持っている物を見た。

持っている物は何かを詰め込んでいる、学校のバッグを肩にかけている。

 「何言ってるんだ?夏休みの課題お前ん家でやろうって約束しただろ?」

 「・・・へ?」

 裕生はきょとんとした顔になる。

唯はそれを見てあきれたようにため息をつく。

 「あんたねえ・・・大丈夫?いつもボーっとしてるけど自分が言い出したことでしょ?」

 「ん・・・?」

 裕生は思いだしてみる。

提案したのは緒方だったが、うちでやろうと言い出したのは裕生だった。

すっかり忘れていた。

 「・・・今日だっけ?」

 「今日だよ」

 唯と緒方は顔を向き合い、小さくため息をついた。

 「別にあがってもいいだろ?何か用事あるのか?」

 「いや、別に何も用事ないよ・・・」

 「そうか?」

 裕生はさっき立っていた電柱の近くを振り返る。

ここまできても魔の波動は感じた。

シオンは任意でいいと言ったから今日はいいかな、と思った。

 「そういえばさ、流河」

 唯が話しかけてくる。

 「さっき電柱の傍でずっと立ってたけど、何かあるの?」

 「いや、別に」

 裕生は適当に微笑みを見せて促した。





 「おい、リギラ・・・この前集まったのに何でまた集まらないといけないんだ?」

 赤い髪の毛を短く刈って立てている男―ツルギは少し嫌そうに言った。

 「仕方がない。かなり重要なことだ・・・。それに私ではない、蒼天雷神≠ェ言ったことだ・・・」

 エメラルドグリーンの長髪で、顔の彫りは深く、二枚目の魔人真紅爪炎<潟Mラ=ヴァイスリットは静かに言った。

 「でもアイツ、いっつも顔出さねえよな?何やってんだ・・・・・?」

 「そんなことはどうでもいい。かなり重要なことだ、真面目に聞け」

 「・・・・・・わかったよ・・・」

 ツルギは諦めたようにムスッとすると大きい椅子にドカッともたれかかった。

それを微笑みながら見ていたゼニスブルーの髪の色の美男子、凍牙の刃<Mニー=ファントムが口を開いた。

 「なんだい、リギラ?重要なコトって・・・」

 楽しげに微笑みを見せた。

 「・・・・・・それが、煉獄の剛金<Oリバリー=ザグワンが殺られた・・・」

 リギラがそう言い終えた瞬間、周囲にざわめきが起こる。

 「お前、何て言った!?」

 さっきまでふんぞり返っていたツルギが目を大きく見開いて言った。

 「グリバリーが聖者に殺されたと言っている・・・」

 「何でだよ!あの人はかなりベテランで強かった人だろ!?」

 「しかし・・・」

 「あの人が殺されるわけないんだ!」

 「・・・・・・うるさいよ、ツルギ」

 ギニーは酷薄な笑みのまま、強く言った。

それと同時に、ざわめきも自然におさまる。

 「何だと!?ギニー・・・おまえ、同志が殺されて何とも思わないのか?」

 歯を剥き出しにして、怒りをおさえながらツルギは言った。

その顔を見て喉の奥でギニーは笑った。

 「魔界の、自然の掟を知ってる?」

 「・・・ッ」

 ツルギは言葉がつまった。

 「失敗したものは、いらないものは、クズは消し去る、滅する・・・グリバリーは失敗した魔族のクズだ・・・死んで正解だとは思わないかい?」

 「それが、同志が殺されたお前の気持―」

 「ま、実際殺したのはボクなんだけどね?」

 「何ッ?」

 また周囲のざわめきが戻りつつあった。

前よりざわめきは大きい。

 ツルギはついに怒りを抑えられなくなり、ギニーに向かって叫ぶ。

 「何だテメェ!!何でわざわざ殺したんだ!!!ギニー!答えてみろ!」

 「ははは・・・・・・勘違いしないでおくれよ。ボクはとどめを刺しただけだよ?瀕死状態にしたのは聖者・・・」

 「それでも・・・助かったんだろ!?グリバリーさんは!!」

 「さあ、そんなことはボクにとってはどうでもいい・・・・・・どっちにしろ死ぬ運命だったのさ、あいつは・・・」

 「貴様!!!」

 ツルギが大声で叫ぶと、椅子の上に立ち、手を思いっきり上にあげる。

その間、ツルギの手のひらに薄い緑色のもやのついた風が大きく音をたてて強く吹いている。

 「やめろ、ツルギ!ここで殺し合いをしたところで何も状況は変わらない!」

 リギラが止めに入る。

 「うるさい」

 端的に、ツルギは返す。

 「死ね!!」

 手を素速く、ギニーに向かって振り下ろすと、風がギニーに向かって飛んでいく。

その風はまるで刃のように空を斬っていた。

 ギニーは手で自分の前髪を触るとため息をつく。

そして素速く鞘から細身の剣、フロストを抜くと空気を裂くように横に振った。

 「凍れ」

 言うといきなりツルギが出した刃の風は空中で凍り付いた。

 「何っ!?」

 そしてその後、氷がはじける音と共に、氷はバラバラになり、跡形もなく消えた。

 「ま、君の力はそんなもんさ」

 ギニーはフロストを鞘におさめて酷薄な笑みを浮かべる。

 「力なきものは消滅されるのが運命と思っておくんだね?」

 「そっ・・・その考えが間違ってる!」

 ツルギが少し怯えた声で言った。

 「別に、考え方は個人差があるってコト知ってた?」

 「もうお前は同志でもねえ・・・同族とも思わない・・・」

 「魔族を裏切ろうとした君に同族と思われる方が屈辱的なんだよ・・・ボクは」

 「・・・・・・クッ・・・お前は許さない!」

 「許さなければ?」

 「殺すのみだ」

 「へぇ・・・大したもんだね・・・じゃあ、こういうのはどうかな?」

 パチン、とギニーは指を鳴らした。

 「ぐはあ!?」

 気付くと、悲鳴が上がっていた。

 「今日は片目だけで勘弁しておくよ・・・」

 ほかの十数人の魔人達は何が起こったのかわからなかった。

しかし、悲鳴がした方向を向くと何が起こったのかがわかった。

 気付いたら、ツルギの左目が、鋭く尖った氷柱によって潰されていた。

ツルギは潰された方の目を強く押さえてのたうち回った。

その目からは赤黒い血が絶えることなく流血している。

 「しばらくはそれで反省しておいたほうがいいよ?」

 笑いながらギニーは言うと、椅子から立ち上がった。

 「おい、ギニー!」

 リギラが椅子を蹴るように立ち上がり、ギニーを呼び止めた。

ギニーは首を上に上げたかと思うと、ゆっくりとリギラの方を振り向く。

 「・・・・・・なんだい?」

 「お前、最近やりすぎではないか?私達の同志だぞ?」

 「・・・・・・いや、もう萎えたよ・・・ちょっとアツくなりすぎた・・・もうしない・・・」

 「本当だな!?」

 「・・・・・・それはリギラさんの想像でおまかせしますよ・・・」

 ギニーは小馬鹿にするように微笑んだ。

 「ギニーッ・・・テメェ!!!」

 左目を押さえたままツルギはふらふらと立ち上がって叫ぶ。

 「なんだい?次は」

 「お前はもう許さねえ・・・俺の風の魔力でいつか必ず葬り去ってやる!」

 「おお、恐ろしい」

 ギニーはわざとらしく震え上がった。

そしてそれから何も言わないでギニーは立ち去っていった。

少しだが、小さく笑っているのがほかの魔人にもわかった。





 三人の「勉強会」はたいして時間をかけずに終わった。

三人とも別々の得意教科もあり、それを参考にしながら課題の分担を割り切っていっていく作業だった。

 座卓の上に広げられていたプリントやノートはすっかり片づけられていてあるのは裕生が出したアイスティーだけだ。

三人はもう勉強のことなど忘れてそのアイスティーを飲みながらおしゃべりをしている。

 先ほどから緒方は少しマニアックなアニメの話をぺらぺらとしている。

唯と裕生はその聞き役になっているのだが、唯はそのアニメの話より裕生のことが気になった。

 (元気ないなあ・・・)

 裕生は何か今日はいつもと違う。

どこか目も哀しげで勉強をしている時も様子がおかしかった。

ボーっとしているのはいつもと変わらないのだが、感じが違っていた。

 「ん、どうした灰原?俺の話がつまらんってか?つまらんってか?」

 唯は少しの考え事をするときも遠くを見る癖があり、それを緒方に察知されてしまった。

 「いや、別に・・・それよりさ流河・・・」

 「オイ、俺のアニメの話終わってないぞ」

 「綾香って何かあったの?」

 「無視かよオイ」

 裕生は緒方の話を目を半分開いて聞いていたのだが、綾香という名前が出ると、目を見開いた。

 「月島?」

 「何か知らないけど、綾香がおかしいの・・・うまくは説明できないんだけど」

 「・・・ボクは何も知らない・・・何も・・・」

 また裕生は哀しげな目をする。

 「流河・・・・・・?」

 唯は眉をひそめた。

 「ボクは月島に何があったのかは知らない・・・でも・・・」

 「でも・・・・?」

 「いや、何でもない・・・・・・」

 裕生は静かにため息をついた。

 (流河も何があったんだろう?)

 唯は更に気が重くなった。





 「・・・・・・ギニー」

 リギラは重たい口調で言う。

ギニーは廊下をゆっくりと歩いていたが、その声を聞きすぐに立ち止まると、リギラの方に体を向けた。

 「やあ、リギラさん」

 「そんなぬるい挨拶をしている場合ではないだろう?お前・・・」

 「ツルギのこと?大丈夫です。反省していますよ」

 そうは言ったが到底、今の言葉が真実だと思えぬような酷薄な笑みを浮かべた。

リギラはあきらめたように大きくため息をついた。

 「・・・・・・ジルバのことといい、グリバリーのことといい・・・やりすぎではないか?」

 「ボクは思ったことをやったまでです」

 「それより俺はグリバリーが聖者に殺られたと言ったのに何でわざわざ自分がやったと訂正するんだ?俺はお前をかばったつもりなんだぞ?」

 「真実を言ったまでですよ」

 ギニーは肩をすくめながら言った。

 「お前がそう言うならいいが・・・」

 「それよりさ、例のレジストの少年君のところに行くのはボク、やめておくよ?」

 「何だと?」

 「いや、まださ流河君、レジストの力を完全に制御できていないみたいだし、戦っても面白くないんだよネ?」

 「お前、戦いを面白いとか考えていたのか?」

 リギラの顔が真剣になった。

それを見てギニーは微笑むと続ける。

 「面白味がないと戦闘意識もわかないしね、それにあの聖者のことにも感心が湧いた・・・」

 「蒼電≠フことか?」

 「どっちもだよ。シオンちゃんと面白いけど、フィオちゃんも面白そうだしね・・・この前は途中でやる気が急降下してしまって帰ってきたけど・・・次は戦ってみたいと思っているよ」

 「しかし紅牙≠フほうは今だ神器に封印されているままだろ?」

 「あれ、知らなかったっけ?フィオちゃんはどうやらシオンちゃんの体を時々借りているみたいだし」

 「・・・・・・そうなのか?」

 「ボクはこの目で確かに見た。よくわからないよ・・・何でわざわざ他人のために生命力を捨てなくちゃいけないってね?」

 「まあそんな理屈はどうでもいいが、とにかく紅牙≠ェ今、戦える状況なのはこっちとしても不利だな・・・」

 「ま、ボクは違う聖者をぶっ殺しに行く役目にしておくれよ、リギラ?」

 「・・・・・・お前は本当に気まぐれな魔人だな・・・まあしょうがない、爪破裂界≠ノは違う奴を送る」

 「そうして下さい・・・ま、誰送っても結果は見えていますケドネ?」

 「それよりギニー」

 「次はなんだい?」

 「何でこの前は本気を出さなかった?あの時本気を出していれば簡単にレジストを奪えたはずだぞ?」

 「それはボクのことを買い被っているよ、リギラ?次やるときはうまくやるよ・・・うまくね」

 そう言ってギニーは哄笑しながら去っていった。

 (・・・ったくあの男は)

 リギラは髪をかきむしった。