第十四章 | 怪物 |
流河裕生は友人の灰原唯と緒方智也が帰るのを見送った後自分の部屋のベッドに寝っ転がった。
そのまま眼をつむり大きくため息をついた。
(月島が・・・やっぱり何か・・・)
やはり、幼なじみのクラスメイト、月島綾香が気になった。
静かで無口で人見知りなところは昔から変わりないのだが、最近いつもと違う感じがした。
(違う人と話をしているような・・・)
何故か綾香と話している時は綾香とではなく、ほかの誰かと話している気がしてしまった。
それに、最初に“呪縛陣”というものを体験したときのように妙な胸騒ぎもした。
もしかしたら悪魔に取り憑かれているかも知れない。
シオンに聞いたが、人間は正の感情の塊なので、悪魔が人を“器”にして媒介することはよほどの好条件が揃わないと無理だと言っていた。
その時は多分気のせいだろうと本気で思ったが、今日奇妙なことがわかってしまった。
(魔の道・・・)
シオンに呪縛陣なしに、悪魔が現れたときに感じる“魔の気”の波動が重なることによってできる道が“魔の道”だ。
それを辿ればどこに悪魔がいるかがわかるとシオンは言っていた。
それを探してほしいという理由は聞けなかったが、一応はそれを探してみた。
最初に、駐車場近くの電柱を調べたときにあることがわかった。
その月島綾香の住んでいるアパートに同じ“魔の波動”が強く集中していることがわかった。
つまりそこを中心として“魔の道”が続いていることだと裕生は思っている。
(やっぱり月島が・・・)
そう思うたびに気分は重たくなっていった。
その時、インターホンが鳴った。
裕生は気分がボーッとしていたので少し反応が遅れたが、すぐにハッとなり、急いでベッドから降りて玄関の方に向かった。
そしていつも言っているように「どちらさまですか」と言おうとしたとき―
「裕生ーッ!開けろ!」
聞き覚えのある声がした。
この声は・・・
「兄さん・・・」
裕生は小さくため息をつくと鍵をガチャッと音を立てて開けると向こうからドアが開いた。
男はぴしっと手を挙げる。
派手なシャツに金髪とピアスとサングラスで長身の男。
完全にヤクザの格好をしているが、あの名門私立校、城東大学の学生である。
名前は流河直樹。流河裕生の兄だ。
どことなく似ているといえば似ているが、性格はかなり違っていた。
「おっす裕生。元気か弟よ?」
「元気、元気・・・」
裕生は適当に促した。
今日は何となく人と話したい気分ではなかった。
「ん?どうした裕生・・・元気ねえな?何かあったか・・・原因作った奴はぶっ飛ばしてやるからよ。名前言ってみ」
直樹はあくまで無表情で右腕をぐるぐる回した。
「いや、何でもないよ・・・」
「そうか?」
直樹は腕を回すのをやめた。
「それよりよ、裕生。ビール買ってきたけど、飲むかお前?」
直樹はそのビールの缶によっていっぱいになっている近くのスーパーのビニール袋を裕生に見せた。
「ボク未成年だから」
「ああ、そうかワリィな」
直樹は笑うとドカッと音を立てて玄関に上がった。
そのまま素速く台所の方まで向かっていった。
灰原唯と緒方智也は一緒に歩いていた。
何故か今日は二人とも会話をしていた。
「流河、何かおかしくなかった?」
「何が?」
緒方はさっき自動販売機で買ったコーラの缶を飲みながら言った。
「いや、あんたさ何も感じなかった?」
「別にィ〜あんなもんだろ、裕生って?」
「そうだったっけ?」
「あいつがいつもボーッとしているのは知っているだろ?」
「それは知っているけど・・・何かうまく説明できないけど、違ってた」
「さっきからそればっかしだなあ〜気にしすぎだってお前は」
「でも・・・」
「マイナス思考に傾けすぎ!前向けに行こうぜ!」
(ていうか緒方は前向きすぎなんだって・・・)
唯は心の中で呟いた。
緒方は何でも思ったことを言うタイプであり、どんな恥ずかしいことでも大声を言うタイプでもある。
それにかなりプラス思考の持ち主で、何でもいい方いい方に持ち込む癖がある。
唯は自覚はしているのだが、いつも何故か悪い方の考え方しかできないマイナス思考の持ち主だ。
なんとか直そうとはしているのだが癖は直らない。
(気のせいかなあ〜・・・)
そうは思ってみるがやっぱり裕生はいつもとおかしい。
かなり哀しい目をしていたし、態度も変だった。
(何か悩み事でもあるのかな・・・)
悩み事といえば・・・
(綾香の方も・・・)
気になった。
「まあいいや、明るく行こう」
「そうだ、それでこそ男だ!」
「女」
「男だ!」
唯は無表情で緒方の頭をはたいた。
「いっつぇ!?」
「ん、あれまさか?」
緒方が痛がっているのを無視して唯は言った。
気付くと、誰も使っていない古びた児童公園の前に立っていた。
その近くは人通りは全くない。
児童公園にはさびているベンチの上に月島綾香が哀しそうに座っていた。
「何しているんだ、綾香?」
「ん、どうした、月島さんか?」
緒方は今だ頭を押さえて言った。
「やっぱりおかしい」
それを言い残すと唯は綾香のいる公園の中に入っていった。
「おい、唯!」
緒方は唯のあとを追った。
綾香は途中で唯と緒方がいるのを気付くと、一瞬恐怖に怯えた表情をした。
「こんなところでどうしたの、綾香?」
「いえ、何でもありません」
「何でこんなところにいるの?」
「私は、一人の方がいいんです・・・・・・」
「・・・へ?」
「私は、いつか消えます」
「・・・・・・」
「ほかの人も、生き物も、自然も、空も、雲も・・・何もかもが消えて・・・私だけが残る」
「・・・・・・」
「それは、私だけが消えるのと同じ・・・・・・」
「いきなり何を言って・・・」
「何でもありません。これは私の問題です・・・。気にしないで下さい」
綾香はそう言うと、何かに耐えているように、うつむいた。
唯と緒方はどちらも眉をひそめて顔を合わせた。
「綾香・・・」
唯はそっと優しく綾香の顔をこっちに向けた。
「何を悩んでいるの?何かあった―え?」
いきなり綾香は何かに気付いたように両目をいっぱいに開いて、唯と緒方の後ろを見ている。
そのまま、綾香は唯と緒方のいる後ろを指さした。
「ん?」
唯は何がなんだかわからなかったが何気なく後ろを向いた。
「え?」
「んあ?」
唯と緒方は同時に声を上げた。
突然現れたそれはあまりに非常識な大きさで恐ろしい物だった。
それは巨大な牛の角に、人の骸骨のようなものをかぶせた、獣だった。
裕生は兄・直樹が明太子といっしょにビールを飲んでいるさまをボーッと見ていた。
(おいしそうに、食べて飲むなあ・・・)
なにげに思った。
すると、直樹と裕生の目が偶然あった。
「ん、どうした裕生君よ、ほしいのか?」
「別に・・・」
「ビールなら腐るほどあるぞ?」
直樹は冗談を言うように笑って言った。
「いや、いいよ」
「わかった、明太子の方だな?いるか?」
「いらない」
言うと、直樹の顔がいきなり真剣な顔つきに変わった。
裕生はそれを見て少し表情が変わった。
「どうしたんだ、裕生?いつもと違うぞ?」
「そう?」
「いつものお前なら突っ込むところだろ?」
「そう?」
「悩みあんだったら聞いてやるぜ?誰かにイジメられてんのか?」
「違う」
「それじゃあ恋の悩みか?」
「違う」
直樹はビールと明太子を口に運ぶのをやめ、唸る。
裕生は出来るだけ直樹と目を合わせないようにした。
(・・・・・・全く、何なんだよ)
「何ッ!?」
裕生はいきなり椅子から立ち上がる。
それはあまりに大きな“魔の波動”を感じたからだ。
その波動はまるで爆発したように一気にこっちに来ている。
遠くではない。かなり近い場所でその波動は感じる。
裕生は急いで外に出るべく玄関に走った。
「おい、裕生!」
直樹はそう大きな声で言ったが、裕生は聞こえなかった。
そのまま靴に履き替え、ドアを急いで開き、外に出て行った。
「裕生?」
直樹は何が何だかわからないまま硬直していた。
唯の悲鳴を聞くと綾香は近くにあった石をその化け物に投げつけた。
少しでも怯ませるためだった。
(悪魔・・・)
「早く!」
唯と緒方にそう綾香は言うと、公園の奥の方に走っていった。
昔、この公園で遊んだことがあるからわかる。
意外に広いこの公園は何十メートルか進むと、石段があり、その上に古びた神社があった。
そしてまた次に石段がありそこから逃げられる。
唯達が入ってきた入り口から逃げるにはその化け物が邪魔して出ることは出来なかった。
(逃げられる)
綾香は思った。
唯と緒方は綾香の後を追った。
化け物は体は大きく、そんなに速く走れるわけでもなさそうだ。
何とか走れば逃げ切れると思った。
「あれ・・・・・・何?」
走りながら唯は震える声で言った。
「いきましょう」
綾香は唯の言葉を促すと走るスピードを速くした。
三人は、奥にある石段までたどり着くと、急いでその階段を上ろうとした。
あまりその石段の段数はない。
そんなに体力を消耗するほどの数ではない。
三人は難なく石段を上りきった。
「な、何なんだよ、あれは・・・!」
緒方は息が荒れているまま喋った。
結構距離は離れただろうと綾香は思い、後ろを振り向こうとした瞬間だった。
そこに立っていたのは、あの化け物そのものだった。
あの化け物とはかなり距離を離したつもりだった。
考えが甘かった。
「ウガァアアアアアア!!!」
その化け物は奇声を発するのを前兆に跳びながら骸骨の下に隠れているあまりに大きな口をがぱっと開くと跳びながら唯に噛みつこうとした。
「危ない!」
綾香は唯にタックルをするようにぶつかると、唯とともに吹っ飛んだ。
そのおかげもあり、その化け物は唯ではなく、空気を噛んですんだ。
化け物は獲物を逃したのがわかったのか、口からよだれのような液体を出し、周囲をくるくると見回した。
(目は、見えていない)
綾香は思った。
この化け物はどうやら聴覚のみでどこに何があるのかを把握しているようだ。
綾香が唯を連れて立ち上がろうとしてつま先で地面をジャリ・・・と音を立てた。
すると、化け物はその小さな音を聞き逃さずに、倒れた綾香と唯の方向に首をぐりんと回した。
「きゃあ!」
唯は反射的に悲鳴をあげて、手で目を覆った。
化け物はゆっくりと綾香と唯の方に向かってくる。
(もうダメ・・・)
綾香は何もすることもできなかった。
腰が抜けているのか、少しも立つことができなかった。
目を閉じようとしたとき、いきなり綾香と唯の前に人影だ立った。
「・・・・・・緒方?」
唯が呟いた。
その人影は大きな長い木の棒を構えている緒方智也だった。
「早く逃げろ!」
声を震わしながら緒方は言った。
声だけではない。全身も小刻みに震えていた。
「でも・・・」
「早く逃げろ!この醜い気色ワリィ化け物がなんなのかは知らねえがここで何とか時間を稼ぐ!お前らは逃げろ」
「そんなことはできないよ!」
「ここで三人ともこんな醜い化け物の餌食になってもいいのか!?」
唯は唇を噛んだ。
今あるのは、悔しさと情けなさだけだった。
「早く逃げろ!!」
緒方が叫んだ。
化け物は奇声を発し、手に生えている恐ろしく鋭く尖った爪を緒方向かって切り裂こうと振り下ろしてきた。
「うわああ!!!?」
すると、その時だった。
「やめろ!」
三人が聞き慣れている声が響いた。
化け物は尖った爪を生やしている腕を振り下ろすのをやめ、素速く、その声がした方向を見た。
そこにいたのは、右手に刀身の細い長刀を持った流河裕生だった。