第十七章 | 妖艶なる美女 |
聖者の八扇の桜舞<Wフカ=ティンバーンは海辺の小屋の中で椅子に座っている。
小屋は小さいが、中は自然を思わせる部屋の構成をしており、物も綺麗に片づけられていた。
ジフカは小屋から百数メートル離れたところにある家のレジストの護衛という役目を背負わされている。
最近、魔族達が過激に動き始め、次々に聖者とレジストを蔵した人間、そして関係のない人間達を殺している。
しかしジフカは聖者の中でも古参の重鎮で、かなりの戦術眼を誇っている。
まわりの聖者からは高潔な人格者として知られる。
レジストの護衛にする期間にも数回魔族が襲ってきたがジフカは軽々と倒してしまう。
正直、ジフカ本人も魔族など敵ではないと思っていた。
なぜレジストを蔵している人間の近くにいないかというと、ジフカはその必要はなかった。
一人で行動する方が好んでいる、ということもあるが、万が一その人間に魔族が襲ってきてもすぐに倒せる自信があったからであろう。
ジフカは黒い立派なひげに少しマグカップのふちにあててコーヒーを飲んだ。
ゆっくりとカップを机の上に置くと椅子にぎしっという音を立ててもたれた。
その時だった。
「何だ!?」
いきなり外から“魔の波動”を感じた。それも大きい。
ジフカは近くにあるノコギリのような形をした剣である神器“ユーカーン”を持つと真っ先に小屋の扉をぶっ飛ばすように足で蹴りながら開けた。
外に出ると、ジフカは知らない男が立っていた。
「やあ、あなたが噂の超ベテラン聖者の“八扇の桜舞”ジフカさんですか?」
この酷薄な笑みを浮かべている男は貴公子を思わせるデザインの服を着ており、背中はマントで覆われていた。
顔は誰も文句が言わないような美男子だが、瞳の色は全く輝いていない。
腰の辺りには剣の鞘がおさまれていた。
「そうだが・・・貴様は誰だ?見ない顔だな・・・悪魔か?」
「あ、これは失礼致しました・・・私は魔人である“凍牙の刃”ギニー=ファントムです」
ギニーと名乗った男は芝居のかかった優雅なしぐさでジフカにお辞儀を見せた。
顔を上げるとニヤリ、と微笑んだ。
その顔を見るとジフカは何故か圧された。
(何なんだ・・・こいつは?)
今まで悪魔に対してこのような恐怖に近い感情を思えたのは初めてかも知れない。
「私のことはご存じありませんか?」
「我は知らん。顔は愚か名前も聞いたことがない」
「それは残念です・・・まあここに来た本題を申し上げることにしましょう」
ジフカが剣を握る力が強くなる。
「あなたが護衛をまかされているレジストの人間を探しに来ているのですが・・・どこにいるのかわからないのですヨ」
「それはそうだ・・・“封刻”をしているのだからな」
ジフカが言った“封刻”というのは幻魔法のひとつで、レジストを蔵している人間が察知されにくくするためのものである。
これはかなり専門の知識が必要であり、聖者でさえできるものは殆どいない。
ジフカは優秀な聖者のため、それをすることができる。
「やっぱりしていたのですね・・・じゃあどこにいるかくらいは教えてほしいのですけど?」
「・・・・・・それは無理だ。貴様にもわかっているだろう?」
「どうしても無理ですか?」
「無理だ」
「では死に際までその台詞を言うことができるカナ?」
「何だと?」
すると、いきなりジフカの左腕が斬り落とされていた。
ギニーは酷薄な笑みを浮かべながら、さっきまで鞘におさめていた細身の剣を抜いていた。
「ぐっ・・・!?何をした!」
ジフカは腕がなくなったことに動揺せずに右手に握られている剣をギニーに突きつけた。
「見てわからない?腕を斬り落としたのだけど?」
「何者だ貴様は!」
「ぼくの名前は凍牙の刃<Mニー=ファントム。神器“フロスト”の契約者だ!」
そう言い終わった瞬間、ギニーの周りに白い冷気が広がっていった。
それと同時に、ギニーの剣の刀身が氷に覆われた。
「今更、見返っても無駄だよ?死ぬ苦しみは味わって貰うから?どんな味がするカナ!?」
ギニーはジフカ目がけて斬りつけてきた。
「さてと・・・そろそろいいかな?」
ギニーは右手でジフカの頭を持ち、高く掴み上げている。
左手には細身の剣が握られていたが、刃は赤黒く染まっていた・・・血だ。
「なかなか強い力を持っていたケド、ぼくには叶わない。でも少しは楽しめたよ?」
「く・・・っそ・・・」
ジフカの体はずたずたと剣に斬られた傷が無数ついている。
あらゆるところから血が出ており、顔も斬りつけられているせいか無惨な姿に変わり果てていた。
「おっと・・・まだ死なないでくださいよ?聞きたいことがあるのですから?」
ギニーは喉の奥で笑い声を上げた。
「貴様・・・強い力を持っているようだが・・・ほかの聖者は・・・もっと強いぞ?」
かすれた声でジフカは言う。
「お、それは楽しみですねえ・・・そのお強い聖者様と一戦交えたいものです」
「我を殺せても・・・まだまだ聖者はいる・・・貴様は遅かれ早かれ死ぬ運命だ」
「それはご心配ありがとうございます。気をつけます・・・では訊きたいことがあるのですけど?」
促すようにして無理矢理そっちの話に切り替えた。
「レジストの・・・ことか?・・・・それを教えることはできない・・・」
「死に損ないが・・・今の状況でもそんな台詞を吐くことができるのですか?」
「ふん・・・貴様がどうあがこうと・・・魔族は・・・」
ジフカがそこまで言いかけると、ギニーは手に力を込めて剣でジフカの銅を左から横に斬った。
ほとんど真っ二つに近い形で斬ると、ジフカは力尽きたようだった。
ギニーは情けなさそうにため息をつくと、ジフカを掴んでいた手を離した。
砂浜にジフカの死体が鈍い音を立てて落ちた。
「やっぱり面白くないな」
言うとギニーはジフカの死体に手をかざした。
すると手からは冷気が漂い、それによってジフカの死体は包み込まれた。
その直後、ジフカの死体は氷が割れるような音と共にバラバラに砕け散った。
その後に残る物は何もない。
「・・・・・・レジストがどこにあるかわからないまま殺しちゃったな・・・」
楽しげにギニーは言った。
「ま、ここら辺にいるのは間違いないんだ・・・何人か殺せば出てくる・・・」
ギニーは赤黒く染まった剣の刃を見つめると、そこを後にした。
その後・・・そこ一帯の場所で謎の大量行方不明者が続出した。
「へぇ・・・そうなのですか」
シオンが感心するように消え入りそうなか細い声で言った。
裕生が出したミルクコーヒーの入ったマグカップをシオンは口に運ぶ。
服装は漆黒のマントを巻き付けているようなものだった。
前に聞いたがどうやら聖者の伝統の衣装・・・らしいのだが。
「へ・・・?だめじゃないの?」
裕生は遠回しみたいに、クラスメイトの灰原唯と緒方智也に悪魔や魔界、聖者などの真実を教えてしまったとシオンに告げた。
言う前は怒りはしないでも少し困ったような顔はすると思っていた。
フィオに聞かれるとまず何を言われるかは想像がつかない。
「あんなところを見られたら言うしかないでしょう。知らないまま変な行動を起こしても困りますし」
裕生は本当にいいのか首を傾げた。
そしてそのままシオンが腕にかけているブレスレットをちらりと見た。
このブレスレットには聖者である紅牙<tィオが身をゆだねている・・・らしい。
まだその理由までは不明なところが多いがあえて裕生は聞かなかった。
「フィオは・・・どう思ってるの?・・・緒方達に言ってしまったんだけど・・・」
フィオはずっと黙っていたので怒りを我慢していると思った。
多分これから叱りつけられると裕生は覚悟した。
しかしかえってきた言葉は想像とは間逆のことだった。
「ん・・・?いや私は別にどうでも・・・」
「どうでも?」
「お前がほかの人間に何を言おうがどうでもいいの。役目をはたすだけだし。私達は」
裕生は適当に笑ってみせた。
「まあそれで俺たちが挨拶に来たわけなんスよ」
緒方が言った。
「はぁ・・・」
シオンは少し困った顔をした。
「まあよろしく・・・えっと・・・」
「シオンです」
自己紹介を終えると緒方はシオンに握手を求めてきたが、とまどい気味にシオンは手を出して握手をした。
「よーし!これから悪魔との戦いってことにな・・・」
「貴様は何もしなくていい」
いきなりフィオが怒った口調で強く言った。
「貴様らみたいな無力な人間に魔族などに勝てるわけがない」
「いや・・・俺たちにも何か・・・」
「何もしなくていい。黙ってしていればそれでいい」
「む〜・・・」
緒方は観念したのか唸りながら黙った。
裕生は少しほっとしてため息をついた。
裕生は唯達を見送った後、またシオンがいる自分の部屋に向かった。
「帰ったみたいだよ」
「そうですか・・・」
「ねえ、シオン?」
「なんですか?」
「月島のことなんだけど・・・」
少しだがシオンの顔色が変わった。
「多分・・・レジストが入っているとは思いますが・・・」
「何で、聖者達はそれに気付かないで月島を護衛とかしないの?」
「そりゃあね」
いきなりフィオが言った。
「どういうこと?」
フィオが面倒くさそうに小さく舌打ちをした。
裕生はそれを聞かなかった、ふりをした。
「まあレジストの中にも失敗作ってのもあるわけ。何がはじまりかは知らないけど、その失敗作が何個か人間に入っているってことを聞いたことがある」
「でも、その失敗作のせいで月島が襲われたんなら聖者が何かをするべきなんじゃないの?」
「さあね・・・聖者もいろいろと忙しいから人手が足りないとかそんなもんじゃないの?私はそこまでは知らない」
裕生は少し聖者に対して苛立ちを覚えた。
狙われる、ということはもしかしたら月島は殺されるのかもしれないのに聖者は何もしないというのが何より気に入らなかった。
「何とかできない?」
裕生はシオンの顔をうかがうように言った。
しかしシオンは申し訳なさそうに首を振った。
「それは無理です。私は流河さんを護るのにいっぱいいっぱいですし・・・あ、でも何とかはしてみますから・・・」
「・・・・・・そう」
裕生はうつむいた。
「じゃあ旦那、俺がしてみましょうかィ?」
いきなり聞き覚えのある声がベランダからした。
シオンと裕生はそっちのほうを向くとある男が立っていた。
「シオン嬢ちゃんと会うのはしばらくだなぁ」
そのにいたのはあの魔界兵に襲われたときに助けて貰った陽炎の小鷹<xルクという聖者だった。
その時と同じ格好である黒いマントを全身に覆っており、顔はフードで見えなかった。
「お久しぶりです、ベルクさん」
シオンは明るい表情で言った。
「そいつぁどうも・・・それで旦那」
ベルクはいきなり顔を覆っているフードをとった。
とったときの顔は目は迷いのない真っ直ぐな眼をしており全体的に整っているのだが、すこし浮かれている顔であった。
「その月島って人、護ってもいいぜ?」
裕生が希望に満ちた顔になっていった。
「本当ですか?」
「まあな、俺、今フリーだし・・・それより、シオン嬢ちゃんとフィオ嬢ちゃん・・・」
「何ですか?」
「何よ?」
二人が同時に言った。
「ジフカの旦那がやられた・・・」
シオンの顔にわずかだが影がさした。
「ねえ〜〜〜〜〜ちょっとぉ!」
早朝に響く高い声で女は言った。
この女は、幽玄揚羽<tァラ=エンジェルという魔人だ。
美人というには少し童顔で可愛らしいと言うにはクセのある顔だった。
ブロンドのかかった金髪で、目の色は髪の色と同色というもの。
まるで軽業師のような軽装で、鎧の類はつけていなかった。
その前をはやい足で歩いている男は一刀新鋭<Aイク=ウォン。
濃紺の髪の色にライトブルーの瞳の色。
瞳孔は少し開いている、すごみのきいた顔つきをしていた。
背は二メートル近くある長身で、周囲にはすれ違う人がさけてしまうほどの圧倒的なオーラが漂っている。
「ちょっと!アイク、聞いてるの!?」
「だー!うるせぇんだよ!」
迷惑そうにアイクは叫んだ。
近くにいる人たちは一気にアイクとファラの方を向いた。
「何ですぐに例のレジストの所に行くわけ!?」
「そいつあ決まってんだろ?さっさぁ殺してさっさぁ奪い取る・・・遠回りするのは嫌なんでね」
「その心意気はいいけど、もう少しこの世界のこと楽しみましょうよ!い〜っっっっっっぱい面白いところあるんでしょう?」
アイクは聞こえないように舌打ちをした。
「それもいいんだがぁ・・・ま、考えておくよ・・・」
「考えておくって・・・もう一直線に向かってるじゃない!?」
「そうだなぁ・・・考える暇ねえかもな・・・でもいいだろ?遠いから歩きを楽しめ」
「何もしないで歩くなんて楽しくないわよ!」
「それはあんたの勝手だ・・・俺はどうでもいいわ・・・」
「・・・・・・もう、いいわよ!」
いきなりファラはどこからともなく出てきた二本のレイピアを両手に持った。
それを見た周りの人間十数人はファラがいる方を見る。
「ちょっと楽しませてもらいますわよ?」
いい子ぶりっこのような笑みを浮かべると右を歩いていた中年風のサラリーマンにレイピアを華麗に回りながら刺した。
刺さったのは心臓で、中年の男は全身が震えた後、地面に大きな音を立てて転んだように落ちた。
しばらく、何が起こったのか沈黙が降りたが、あらゆるところで悲鳴が出た。
「逃がしはしないわよ?」
ファラは嘲笑するとレイピアを持った拳を、ただ上げた。
すると逃げまとう人々は見えない壁に阻まれたように同時に止まった。
そして地面に引き寄せられるように膝をつく。
「ファラよぉ・・・こんなところで面倒なこと起こされるとこっちも困るんだよォ・・・」
アイクは困ったようなのだが楽しげな口調にも感じた。
「まあ、あんたの魔力は認めるよ・・・」
アイクはにやりと笑った。
「それはどうも・・・褒めて下さるとうれしいですわ?」
「でもこんなシチュエーションは嫌いじゃないぜ!?」
アイクは背中にかけている鞘から剣を抜いた。
ベルクが光柱のようなものと一緒にどこかに行くと、裕生は立ち上がった。
「じゃあシオン、ちょっと行ってくる」
「どこへですか?」
シオンは首を傾げた。
「ちょっと昼食の買い出しにね・・・シオンも一緒に行く?」
「はい、行きます」
シオンは少し慌てて答えると、横に置いていた紙袋から青いワンピースを取り出した。
そのまま立ち上がると体に巻き付けられたマントの襟元に手を添えて裕生をずっと見上げている。
「・・・え、どうしたの?」
「あの、着替えますから」
「あ・・・ああ、そうかごめん・・・外で待ってるから」
裕生は慌てて部屋を出てため息をついた。
そのあとスニーカーをはいて外に出た。
「準備できた?」
「できました」
シオンはあの紙袋から取り出したワンピースを着て外に出てきた。
似合ってるなあ、と裕生は思った。
「じゃあ行こうか」
「はい」
夏休みの朝ということで人通りは決して多いと言うことではなかったが、部活に行くような子供も何人かいるようだ。
ほかには徒歩で会社に通うサラリーマンらしき男やゴミ袋を持っている主婦などといろんな人々がいる。
裕生は月島綾香が住んでいるアパートを見る。
綾香もベルクの姿も見えなかった。
「ねえシオ・・・」
「裕生さん」
シオンが途中で言ってきた。
「え?何・・・」
「私って迷惑ですか?」
「・・・はい?」
いきなり何を言い出すんだ、と裕生は思った。
「迷惑ですか?」
シオンは裕生の表情をずっと見据えている。
「いや、迷惑じゃないし・・・逆に頼りになってるって思ってるけど・・・どうしたの?」
「そうですか・・・ありがとうございます」
(何なんだろ?)
裕生は疑問に思ったがあえて訊かなかった。
そのまま二人には沈黙になった。
シオンは警戒しているように周りをきょろきょろと見回している。
裕生はそれが気になってしようがなかったが気にしないようにした。
そのまま裕生がいつも行っているスーパーに着いた。
「着いたね」
裕生は端的に言った。
「はい」
シオンも端的に言った。
裕生は少しシオンの顔を見た。
表情は変わっていないが、どこか顔色が悪い気がする。
結構遠い所まで来たし疲れたのかな、と思った。
もう十二時を回っている。
都心の方まで来たので裕生が住んでいるところとは違い、人がとにかく多かった。
裕生は人混みを避けて歩いていく。
すると途中で裕生はシオンが隣にいないことに気がついた。
(はぐれた?)
そう思い後ろを向いた。
「あら、聞いているよりずっと華奢な男の子ですわ」
そこには奇抜な服を着た女性が立っていた。
裕生はその姿を視覚で捉えるとすかさず相手との距離を取り、対峙した。謎の女性は警戒態勢を取る裕生を見ながら平然と笑った。
「あらあら、随分と警戒してくれるではありませんの。挨拶の一つくらいくれたっていいと思うのだけれど? お人形ちゃんには挨拶なんて高等な真似はできないのかしら……?」
毒をたっぷりと含んだ冷笑を吐き出したのは、禍々しいまでに赤いルージュだった。
いったい、いつ、背後に立っていたのか。
豪奢な黄金のブロンドの下、大きな碧瞳を悪戯っぽく輝かせている顔立ちはどうとも捉え難いものだった。
彼女の軽業師のような着衣……その胸元がだらしなくはだけられ、薔薇の蔦を象ったチョーカーと豊かな双丘が半ばも覗いている様はいっそ冒涜的ですらある。
裕生は、幻のように現れた女が両手に握られた二本のレイピアに視線を向ける。
「誰だ、お前は……っ!?」
突然、レイピアの刃が裕生の首筋に押し当てられた。
「……っ!」
首筋に白刃を突きつけられた裕生の唇からは絶句しか漏らせない。
「ふふふ……かわいいですわね、お人形ちゃん。是非わたくしのペットにしてあげたいですわ」
色っぽくウインクしながら女は裕生の首筋からレイピアを離した。刹那、それはまるで手品のように消えてしまっている。
空になった手をみせびらかすように振って、女はふわっとブロンドをはらった。
「わたくしのお茶目な悪戯ですわ。悪気はなかったのですから、そんなに怖ろしい顔はしないでくださいまし」
「シオンをどこにやった?」
「キュートなシオンちゃんにはわたくし達の都合で少し移動させていただきましたわ。おわかり?」
裕生の瞳に、怒りの光が走った。
「そんなに怒らないでくださいまし。わたくしはファラ=エンジェル。別名、幽玄揚羽とも呼ばれていますの」
「ファラ・エンジェル?」
「そうですわ。わたくしの可愛い可愛いお人形ちゃん、その小さな脳みそにしっかり刻みこんでくださいまし。いっそ無くなるまで……」
ファラは自分のジョークがそんなに可笑しいのか手の指を口元に当てて笑い出した。
その笑い方は上品ではあるが、底知れぬ瘴気が渦を巻いている。
「わたくしはアナタの名前を知っていますわ。アナタの名前はヒロオ・リュウガ。わたくしの愛しい愛しいターゲット……」
「それは知っている。レジストを奪いに来たんだろ?」
「そうですわ。魔界から、レジストを奪い、アナタを抹殺する任務を仰せつかっております」
すると、ファラは両手に二本のレイピアを出現させ、裕生の頭部に向け直すと、嘲笑した。
「しかし、ご安心下さいませ。アナタの最期は美しく飾ってさしあげますわよ。伝説のレジストを内蔵した人間、ヒロオ・リュウガ。その人生の終焉は美貌の女魔人に健闘虚しく刺し殺された、華やかな最期であった、とね」
思い入れたっぷりに裕生の墓碑銘を口にすると、ファラはレイピアを引いた。怒りで蒼白になった顔に向けて、皮肉げに囁く。
「では、永遠にさようならですわ……」
ファラがレイピアを裕生に向けて突き出した瞬間、短い悲鳴が重なった。だが、その悲鳴は裕生のものではない。
どこからか繰り出してきた蹴りによって吹っ飛ばされたファラが苦鳴をあげたのだ。
「おっと、あぶないあぶない♪」
死神を思わせる影……それは陽炎の小鷹≠フ別名で知られる聖者・ベルクだった。
咄嗟の事に混乱している裕生を見てベルクはニヤリと笑う。
「よう、旦那。無事かい?」
「ベ、ベルクさん」
「呪縛陣も無しに人間界に現れたトンマがいるって聞いたんで飛んできたら旦那の絶体絶命のピンチじゃあねぇの。シオン嬢ちゃんはどこだい?」
「シオンは……いつの間にか消えてしまって……」
ベルクは首を傾げて考えるような素振りを見せた。だが、すぐに地面に転がったままのファラの姿に気付いたらしい。痛ましげに眉をひそめる。
「あー、悪かった悪かった。大丈夫? 俺の超必殺、ベルク・キックは少々レディにはキツすぎたかな? なんせ俺が二週間かけて編み出した……」
「……ア、アナタ……何のつもりですの!?」
憎悪と激痛に煮えたぎった罵声が、詫びるベルクの言葉を遮った。
ようやく痛みから立ち直ったファラが乱入者に向けて怒号したのだ。
「わたくしの美しき顔にこ汚い蹴りを入れるなんて……邪魔だてすると容赦しませんわよ!!」
「容赦しませんわよ? それは俺の台詞だぜ? シオン嬢ちゃんをどこにやった」
「うふふ……」
ファラは得意げに笑ってみせると、電柱を背にふんぞり返り、高圧的な視線を裕生とベルクに向けた。
「お困りのようですわね、名も知らないこ汚い聖者さん? シオンちゃんを何処かへ移動させたのは、わたくしですけれども、それを教えるほど親切ではございませんわよ」
そう言うと、ファラは愉悦に顔を歪ませた。そして見事なまでのブロンドを、見せつけるかのようにかき上げる。
「そうかい、そうかい。あんたの能力でシオン嬢ちゃんは移動したってことかィ」
「そ。ご明答でございますわ。魔界で一番の美貌を誇るわたくしは、その実力さえもトップに踊り出てございましてよ。おほほほほほほ!」
口に手を当て、お嬢様の笑い声を惜しげもなく披露する。
「そうだねぇ。実力は、よくわからんが認めるよ。でもねぇ、美貌? 俺から見たらあんたは下品な淫売女にしか見えないんだけどね」
ベルクが挑発的な口調で返した。
「まー失礼な。わたくしがビッチですって? わたくしは、どこから見ても草花を愛する、純真無垢な乙女ではありませんの」
「ああ、そうだねぇ。どこから見ても、マッド菜園ティストだ」
ファラの顔がみるみるうちに険悪な色に染まる。
「あなた……よくもまぁそこまでわたくしを侮辱できますわね……。容姿端麗で品行方正なパーフェクト・レディのわたくしによくもそんなことを……」
「んー、俺の個人的見解から言わせてもらうと、あんた、性根曲がってと思うねぇ。そんでもって無駄に高飛車な感じ? あんた自身に自覚がないんだろうね。あんた、知ってるかな? ファラ・エンジェルっつったら、破滅的に過剰な自意識を誇る魔界有数の淫売だってこと? 俺の知り合いはこう言ってたよ。あの女は、もし関節が自由に曲がるなら、自分のあそこにだってキスするやつだぜ、ベルクちゃんよ、それぐらい自尊心ってのがないだよ。ただの小便臭い淫売さ、ってな。パートナーがいなけりゃぁ魔界のクソ汚い獰猛な犬とでもファックする女とも聞いたよ。これで目がさめたかい、ファラ・エンジェル? 好調なスタートが切れそうかい?」
ファラは目元をひくつかせ、低い位置から三白眼になってベルクを睨めつける。
「テメェ……ッ!」
忌々しく親指の爪を噛み、艶のある口元から発せられた声は地獄の釜が開いたように、しゃがれていた。
「おっと、悪かった。俺のジョークが通じないようだな。そうさ、君は美しく、プリティでフレッシュなレディさ」
ファラはその言葉を聞いて、少し機嫌を取り戻していた。
そしてベルクは女を口説くようなワイルドな目を、ファラの瞳に焦点を結んだ。
「誤解しないでくれ。君は綺麗だよ。君には、そう! 誰にもない一種の輝きがある」
「あら、わかっているじゃないの」
「あんたはさかりのついたメス犬だ。ひょっとしたら、その輝きだろうねぇ」
「……」
ファラの表情は、次の犠牲者を物色中の連続殺人鬼のような笑顔へと変わった。
片手に持ったレイピアで、ぶすり、と電柱に突き刺しながら、ファラはにこやかに先を促してやった。
「で?」
「いやだから、そういうことだよ。バビロンの淫売女。あんたの口からはクロムに似た、不快な金属臭がするねぇ」
「いい加減に黙ってくれないと、わたくしはこのレイピアでなにかをしでかしそうですわ……。貴様を切り刻むとか、そういうことを……」
「どうぞ、できるもんならね」
ベルクが余裕綽綽といった口調で言うと、ファラが勢いよくレイピアを投げつけた。
凶器は空気を裂いてベルクの心臓目がけて疾走する。
「ふん」
超人的な反射神経で、手に持った刀身の太い日本刀で飛来してくるレイピアを正確無比に叩き落とすと、ベルクはわずかに驚いたように瞠目する。
ファラの姿が忽然と姿を消していたのだ。しかしベルクはすぐに冷静さを取り戻し、“魔”の気を探す。その間は0.01秒もかからない。
「上かっ!」
頭上に転じたベルクの視界に入ってきたのはファラの影だった。
「旦那ッ! 安全なところに移動してな!」
ベルクが身を捩るようにその場から離れた途端に、ファラのレイピアはコンクリートの地面を大きく抉っている。
レイピアを地面から引き抜いたファラが体勢を立て直すよりも早く、正確にベルクは刀を横に薙ぎ払った。
しかしその速さがマッハにも達する剣撃が、獲物の体を断ち切ることはなかった。剣撃が閃いた刹那、ファラは華麗にその場から跳びすさったのだ。
人間ではありえぬスピードで攻撃を避けると、次に迫撃しようとするベルクに向けて、長手袋に包まれた手を護符のように突き出した。
「ふふ……」
ファラの口元が忌まわしい嘲笑を刻んだ。長手袋がかすかに白く光った瞬間、ベルクを凄まじい衝撃が襲った。
まるで大気そのものが拳となり殴りつけてきたかのようだ。
その打撃にベルクは後方にのけぞった。凄まじいまでの衝撃波は、人間ならば確実に死に至らしめるものだった。
たとえ聖者や魔人であっても行動不能は免れない。
「うおっと、思ったより衝撃はデカい……」
しかし陽炎の小鷹≠ヘ倒れなかった。
「な、なんですってっ!?」
「俺の取って置き。あらかじめ薄いバリアーを張ってあったのさ。名づけてベルク・バリアー」
ファラが歯噛みすると同時に、ベルクは左右に刀を相手目がけて斬りかかる。
あまりに正確無比な剣技に、ファラの顔から余裕が消えた。間一髪で刀をかわすと、残像を残して後方に跳躍する。
「あ、あら、それなりにやるじゃない。紳士には遠くも及ばない下品な男かもしれませんけれども、実力は認めてあげますわ……。でもアナタの狡猾さもここまでってぇぇぇぇぇーーーーッ!?」
ファラは驚愕のあまり目を見開いた。
一瞬で距離を縮めてきたベルクが、その鋭く恐ろしい刀でファラを串刺しにせんと突き込んだのだ。
咄嗟に刀の位置を把握し、レイピアで受け止めようとしたが、武器の性能の差で、弾き飛ばされてしまった。
「え、え、え、ちょちょちょちょちょっとストップ!」
「ノン・ストップ!」
ベルクは刀を手元に引いたかと思うと、それを軽く回転させながらファラに迫る。
聖者随一の素早さを誇るベルクに対応できないのか、いたずらに後退してはかわすが手一杯だ。
単純な速さならば、ベルクの方が上だ。ただ避けていれば、いずれは攻撃を喰らい、体は真っ二つにされるのは火を見るより明らかだ。
ベルクの剣撃をバックステップのみで回避しながら、ファラは叫んだ。
「お、お待ちになって! あのシオンちゃんの居場所をお教えしますから、攻撃をやめて下さいまし!」
「お断りするよ。少々の怪我を負ってもらわないと、攻撃止めた瞬間にサヨナラされちゃったら俺の立場がなくなるからねぇ」
「嘘おっしゃい! どう考えてもわたくしを殺すつもりじゃないのっ!」
「いやぁ。それもそうだなぁ……」
突如、ベルクは攻撃をピタッと止めた。しかし、刀はファラの首筋を完全に捉えている。即座に首をかっ切れる状態に持ち込んだ。
「オーケー。わかったよ、レディ。さっさとシオン嬢ちゃんの居場所をそのコラーゲンを注入してそうな口から吐いちゃいな。悪いけど、こっちもそれなりに焦ってるんでね。さっさと言ってもらうよ」
「わ、わかりましたわ。シオンちゃんは、ここから北に500メートルほど先の教会にいますわ」
「そこで何をしているんだィ? 箒を持って教会の隅から隅までピカピカにする掃除婦をしているわけではないよねぇ」
「……わたくしのパートナーの一緒にいましてよ」
「素直でいいねぇ。それで、そこまで飛ばしたのはキミの能力なのかィ?」
「わたくしの能力は……」
ファラの手は蛇のような動きを見せていた。
貫手のようにまっすぐ指を伸ばした手が、無造作に刀の刀身にそっと触れる。
あまりに緩慢な動きのため、ベルクは特に注意は払わなかった。
「わたくしの能力は、手に取った物を瞬時に特定の距離と方向に飛ばすものですわ。そう、例えばこのように……」
「ッ!?」
ベルクが気付いたときには時既に遅しだった。
見事に磨き上げられた鋭利な刀が空気の溶けたように消失していたのだ。
「おほほほほほほ! お馬鹿さん! 薄汚い枯れた薔薇と散りなさい!!」
上品とは言い難い声とともに、レイピアを逆手に構えると、ベルクの首筋めがけて、勢いよく振り落とした。
「ひゃぁっ!」
ファラが歓喜の叫びを上げた瞬間、凶器は空気を裂いてベルクの首を貫いていた――かに見えた。
「えっ!?」
そこにさっきまで立っていた男の姿はなかった。ファラの目は閉じることすら忘れたように瞠られ、自分の凶器が突いた位置に吸い寄せられる。
「ほぉ、騙し打ちかィ。あんたもなかなか狡猾じゃあないか。それにしてもいい腕だ。間違いなく、そこは俺の首のあったトコロだよ、お若いレディ」
何故か、背後から侮蔑たっぷりの軽口が聞こえた。
ベルクは、にやにやと薄笑いを整った顔に浮かべながら、ファラの綺麗なブロンドを弾いてみせた。
奇妙なことに、ベルクはファラの背後に立っている。いくら素早いとはいえ、超人的な反射能力を持つ魔人の視覚から、残像すら残さず消えるのは不可能だ。
ぎくしゃくとした動作で、ファラが背後を振り返ったその瞬間、ベルクは懐から取り出した短剣をその美貌に突き付ける。
「な、なによ、アナタ……」
「警告するぜ、ファラ・エンジェル。とっとと武器を捨ててここから消え失せろ。命までは取らない。だが、警告をなんらかの形で無視すると、そのあんた自慢の美しい顔に穴が開くことになる」
青ざめた顔の中で唇を噛んだファラを、厳しい声が叩いた。
ベルクの真剣な表情から、その言葉は脅しではないことがわかる。拒めば、命がないことは明らかだった。
短剣に顔を突きつけられて、なおも動かず、立ちすくむファラを見て、ベルクはわずかに苛立ちを覚えたようだ。
いま一度……そして最後の警告をする。
「聞えなかったか? シオン嬢ちゃんは俺のお気に入りでねぇ。あんたがさっさとここから消えてくれないと、困るんだよ。俺の警告に応じない場合は……」
「わ、わかりましたわ……」
ファラは、蚊の鳴くかのような声で答えた。
わずかでも、短剣を視界から遠ざけるため、じりじりと後ずさる。
「ここからは一旦引きますわ」
そう言うと、ファラの足元に魔方陣が描かれ、白い輝きが彼女を包み込んだ。
「しかし覚えていらっしゃい、名も知らない聖者さん。次はアナタの素っ首頂きましてよ」
最後に挑発的な捨て台詞を残すと、白い輝きとともにファラ姿は完全に消えてしまっていた。
ベルクは、さっきまでファラがいた地面を一瞥すると溜息をもらした。遠くで見ていた裕生の姿を確認すると、よく通る声で言う。
「いくぜ、旦那。場所はわかった。シオン嬢ちゃんを助に行くぜぃ」