第九章 不安と違和感

 「暑いね」

 「そうですね」

 裕生と綾香は夕食の材料を買った後、二人で一緒に帰っている。

裕生が作る夕食は冷やし中華で、野菜やら何やらとスーパーの袋に入れていた。

綾香は元々料理が苦手なせいか、何でもかんでも買い込んで袋が二つになるほど多い。

 「月島さ」

 「何ですか」

 「何作る気なの?」

 裕生はえらく多い綾香の持っている袋を見て言う。

 「適当に・・・料理の本を見て、作ろうかなと・・・」

 「ふぅん、料理の本って灰原に貰ったあの本?」

 裕生は唯の顔を思い出す。

 「はい」

 「料理、うまくなるといいね」

 「はい」

 「・・・」

 それからかなりの沈黙が続く。

 (これで一番なついているか・・・)

 直樹が言った『あいつはお前に一番なついているからだよ』という言葉を思い出す。

やっぱり綾香とは人並みの会話も成立していないし何か自分を避けている気もする。

『なついている』と言う言葉は違うと裕生は再認識した。

 裕生は何となく綾香の顔を見る。

透き通るような白い肌。

しかし何かいつもとおかしい。

 「月島」

 「何ですか」

 「悩みあるの?」

 「え?」

 綾香は虚をつかれたように驚き、黙り込む。

 「何か悩みとかあったらいつでも相談してくれてもいいんだよ?幼なじみだし、長い付き合いだし・・・」

 「・・・直樹さんにも言われました」

 「・・・え?兄さんが・・・?」

 (そういえば、兄さん何処に行ったんだろう・・・?)

 実の兄の顔を思い出すと、裕生の顔色がサーッと青くなった。

 「・・・あ」

 「どうしたのですか?」

 「い、いや、何でもないよ・・・」

 裕生は必死に誤魔化す。

今、思い出したことそれは兄が言った綾香を自分の家に住ませるという妙な計画。

 (・・・どうしようか・・・)

 裕生は綾香にばれないようにため息をつく。

 (まあ、確かに月島一人暮らしだし・・・)

 綾香の両親は二人とも亡くなっている。

それからは親戚が引き取るという話もあったのだが綾香はそれを拒否した。

それ以降は裕生の向かいのアパートで一人で暮らしている。

 (心細いかもしれないし、一人だと危険かもしれないし・・・)

 様々な思考が頭を過ぎる。

もしかしたら兄の方が正しいという方に傾いている自分が嫌だった。

 「一理あると言えば、あるかもしれないけど・・・」

 「何がですか?」

 「あ、いや、その・・・」

 「?」

 焦らしすぎるとかえって邪な気持ちを持っているととられるかもしれない。

覚悟を決して裕生は口を開く。

 「あの、さ・・・月島・・・」

 「何ですか?」

 「兄さんが、言ってたんだけど・・・よかったら家に住まない?」

 「・・・・・・・・・・え」

 さらりと裕生は言えたが直球に言い過ぎたかも知れない。

少し自分の行動に後悔した。

 綾香はかなりの衝撃を受けたらしくそう言ったまま動かなくなってしまった。

 「いや、兄さんが急に変なことを言い出しちゃって・・・、何か月島が一人で住んでいたら心細いんじゃないかって・・・兄さんの前使っていた部屋が空いてるし、もしよかったら引っ越ししたらどうかなって・・・母さんにも聞いたんだけど構わないって言ってたし・・・」

 裕生は緒方が言った『同棲』という言葉を途中で思い出した。

 (これじゃあ同棲を迫っているみたいじゃないか・・・)

 自己嫌悪に襲われる。

 「いや、別に・・・心細いのがいけないってわけじゃないんだけど・・・」

 綾香は相変わらず黙ったままうつむく。

 (こりゃダメかな・・・)

 「別に無理にとは言わないんだよ?・・・兄さんが出した提案だし・・・」

 一応直樹が言い出した計画なので「兄さん」という単語を出して自分は悪くないと遠回しに言ってみる。

 「流河さんの家・・・ですか?」

 「・・・?そうだけど・・・」

 綾香は絞り出すような声を発して今だうつむいている。

何を想像しているのかは知らないが少し顔が赤くなっているのがわかった。

 「・・・・・・・・・・流河さん、と・・・」

 小さな声でそう言ったような気がした。

ますます顔が赤くなっている。

 「無理なら無理って、ハッキリ言ってもいいんだけど・・・」

 「・・・無理、です・・・」

 「ああ、そう」

 裕生は大きくため息をつく。

この答えはよかったのか悪かったのか、裕生の頭はその感情でいっぱいだった。

 一応は直樹が自分に頼み、いや命令の義務は果たしたので安堵といえば安堵の感情だった。

 「そりゃあ、嫌だよね、ごめんね兄さんが変なこと言い出しちゃって・・・」

 「ちがっ・・・」

 絶句。

 「え?」

 「やっぱり嫌です・・・」

 はっきりと綾香は言った。

まあこれでよかったのかもしれない。

 「そうだよね、そうはっきり言ってくれるとこっちはうれし−」

 (何!?)

 裕生は言葉の途中で素速く辺りを見回す。

さっき、何かの恐ろしい獣のうなり声のようなものが聞こえた気がした。

 (悪魔!?)

 見回すがそのようなものは見あたらないし、呪縛陣もできていない。

相変わらず人がぞろぞろと通っているだけだった。

しかしその中に何かが混じっている感じがして気持ちが悪かった。

 「あの、すみません・・・。私、一人でも大丈夫ですから・・・さようなら」

 いきなり綾香は裕生に背を向け、走り去って行った。

裕生はそれを黙って見つめていた。

 「月島?」

 妙な胸騒ぎがする。

一緒に買い物に行くときのあの妙な血のざわめきは気のせいではなかったのか、という考えが脳裏に浮かぶ。

今、裕生に残っているのは奇妙な綾香に向かっての不安、それだけでった。





 人通りの少ない自分のマンションに続く道。もう既に夕方がきていた。

流河 裕生はその妙な感情のまま命の恩人である聖者蒼電<Vオンに途中で会った。

 「あ、シオン偶然だね」

 「偶然じゃありません。探してたのです」

 「え・・・?危険、だから?」

 「そうですね」

 「どうかしたの?」

 「この街のどこかに悪魔か魔人が生息している恐れがあります」

 「はぁ?」

 裕生は間の抜けた声を出してしまう。

 「さっきまで元魔人の聖者であるヤイバという人に会ったのですが、魔力の「気」が感じられると言いました」

 「魔力・・・?」

 「どうやらこの街からのようで、おそらく裕生さんを探しているのではないかと・・・不安になりまして」

 「・・・そうなんだ・・・」

 「危険なので、何日かはちゃんと護衛させて頂きます。よろしいですね?」

 「まあ、それは構わないけど・・・」

 何か悪魔とか魔人とか魔力とかに普通の反応をしてしまう自分が恐かった。

 「あとさ、シオン・・・」

 「はい?」

 「人に、寄生する悪魔っているよね?」

 「宮下さんに寄生したパラサイト一族のことですか?」

 「いや、操るのじゃなくて、取り憑くような悪魔はいないの?」

 裕生は綾香のことを思い出して言う。

悪魔と同じ雰囲気が綾香には漂っていた。

もしかしたら悪魔に取り憑かれているかも知れない、と思ったからだ。

考え過ぎかも知れないが、常に慎重に行動する裕生にとっては一応聞いておきたかった。

 シオンは考え込むと口を開く。

 「・・・いますね」

 「いるのか?」

 裕生が言うと、シオンの変わりにフィオが答える。

 「今は魔界と人間界の次元の壁は淡々と薄くなっていっているけど、今だ私達をうならせるような腕の立つ悪魔は力が災いして人間界に姿を現せない状況なの。それで下級、上級構わず、色々なモノを器≠ノして行動を取っている場合が多いの」

 「器≠ノする・・・?」

 「いわばモノに媒介するようなものね。人間は悪魔とは違い正の感情の塊だからそれを器≠ノできるケースはよほどの好条件が揃わないとできないけれど、まれに人間に媒介まではいかなくても取り憑くような魔族も存在するの。パラサイトは特別な種族で取り憑くのじゃなくて“操る”になるけど・・・」

 「可能性はないわけじゃないんだ・・・」

 「そうだけど、どうかしたの?」

 「いや、別に・・・」

 可能性がないわけではない。

 もしかしたらそうかもしれない。

 しかしフィオの言い方はほとんどない、と言っているようだからやはり考え過ぎか、と裕生は思った。

いつも悪魔、悪魔、と考えているから変な胸騒ぎが起こったのかもしれない。

 「魔人は違ってね、魔人は魔人ならではの幻魔法を使って本体のままこの世界に現れることができる。それはいいとしておまえ、最初に襲われた悪魔覚えている?」

 「ああ、あいつらか・・・」

 あっさりとシオンが片づけてしまったが、裕生にしてはあそこまでの恐怖はなかったことを覚えている。

 「あいつらは人間の血を器≠ノしている悪魔、グラドコフって言うの」

 「ヒトの血を・・・?」

 「人の血は呪いの魔力を込めていてね、特に死ぬ前により恨みを抱いて死んだりした人間の血ほど魔力の力は強く、自分の力を何倍にするっていう利益もあるわけ」

 「何かを器≠ノするのを利用して力を強めるってこともできるのか・・・」

 「そ。奴等もようやくそんな高い知性は持ってきたようね」

 「そいつらが誰に取り憑いているかわかるってことはないの?」

 「それは悪いけど無理。とりあえずはおまえを護ることしか考えない。おまえは殺されないように心がけなさい」

 「殺されないようにって・・・」

 「まあ、今の状況からはあまり魔族は攻めてこれないだろうから心配はいらないわよ」

 「何でわかるんだよ」

 「まだ上級の悪魔共はこの世界に入ってこれない状況って言ったでしょう?」

 「ああ、そうか」

 でも魔人は?、と思ったがあえてそれは聞かなかった。

 「でも近いうちに必ず魔界は開かれます」

 「ま、次元の壁ってのは簡単に破られちゃうもんだからそろそろは・・・」

 「ひ、開いたらどうなるんだよ」

 「そりゃあ、魔界の悪魔共が人間界に攻め込むわね。おそらく人類壊滅ってとこかしら?」

 「じゃあ、開かれるまでシオン達サイフォスはそれを止めようとしないのか?」

 裕生が言うとシオンが答える。

 「今、私達とは違う聖者達がその次元の壁の何処が弱まっているのか場所を突き止めようとしてますが・・・」

 「何?」

 「それが、魔族達がそれを誤魔化すために幻魔法を使っているので、そう、容易にはいかないと・・・」

 「幻魔法で魔界と人間界の境界でどこが弱まっているのかを知られないようにしてるってこと?」

 「そうです。今、聖者達が探しているのですが、よい情報は入っていません」

 「じゃあその境界がどこかわかったら防げるの?」

 「程度によります」

 「程度?」

 「どれだけ境界が開いているか、ということです。あまりにも次元の壁が弱まっているようでしたら多分無理でしょう」

 「それで悪魔は自由に人間界を行き来できることになるのか?」

 「はい。でもそうなった場合は私達聖者サイフォスが逆に魔界に攻め込み悪魔達と戦うという計画にはなっています」

 「勝てる自信は?」

 おそるおそる裕生が聞くとフィオが言う。

 「まあ九割無理でしょうね」

 さらりと言ってしまった。

 「過去にはどうやって防いだの?過去にもそんなことあったって言ってたよね?」

 「これまでは聖者が弱まった次元の壁のある場所を突き止め、封印したってケースが多いです」

 「完全に開いてしまったってことはあったのか?魔界が・・・」

 「・・・一度だけ、その時は聖者が魔界に攻め込み何とか人間界侵攻は防げれました」

 「へぇ、でも今は九割が無理ってどういうことなの?」

 「・・・あの時は、聖者の英雄のおかげなんです」

 「英雄?」

 「ここからはちょっと聖者のみの内密なことなのであまり深くは言えません」

 「ああ、そう」

 しばらく沈黙が続く。

 (これは、少し危ない状況なのかな?)

 何故かそんなに焦る感情はない。

もう既に多くの恐怖を味わってきたからだろうか・・・。

 (魔族達が何を考えているか知らないけど、殺されてたまるか)

 裕生は決心を固めた。

ここで殺されれば魔族が得になるだけ。それは避けなければならない。

 (シオンと一緒にいれば大丈夫・・・)

 裕生はシオンの顔を見る。

この人とならやっていける。そう裕生は信じた。